留学生便り
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大阪での1年
2006年度日本政府奨学金
日本語・日本文化研修留学生
リンダ・コストレンチッチ
私は2006年の秋から2007の秋にかけて、大阪外国語大学で日本語を勉強しました。忘れられない一年でした。日本語を勉強したり、日本はもちろん様々な国の人と交流できたりして、人生におけるかけがえのない思い出を作りました。
ザグレブ大学に入学して以来、ずっと家族から離れた生活をしていましたが、外国に住むのは初めてでした。日本語学科で日本についていくら勉強しても、やっぱり、日本を体験することとは違うものだろうと思い、出発の前、新しい環境になれるかどうか、さみしくならないかどうか、勉強がうまく行くかどうかと、色々悩みました。
しかし、日本で生活をすることは思っていたほど難しくありませんでした。JASSOの人たち、大学の先生や、地元のボランティアの方々など、助けてくれる人、面倒をみてくれる人はいつもいましたから。明らかに外国なのに、外国だという意識はそれほどしませんでした。来日してすぐに、日本によくなじむことができました。
大きなカルチャーショックはそれほど感じませんでしたが、自分の国(クロアチア)、今までで住んでいたところと違っている習慣ややり方に驚きを感じることも何度かありました。その多くは細かいことでした。たとえば、ATMには営業時間があり週末や連休は動いていないこと、クレジットカードがあまり使われていないこと、ユーロを両替してくれる銀行を探すのに大変苦労したことなどです。日本に来てはじめて、いままで気づかなかった、自分の国の習慣をより強く意識しました。
そういう、いくつかの面白い違いを感じながら生活をしました。しかし、日本に来て一番驚いたのは、食べ物や異なる習慣ではなく、大学の位置というもっと物理的なことでした。大阪外国語大学というのは大阪府の北の方で、丘の上に建っていて、電車さえありません。そんなところに大学があることに大変驚きました。買い物へ行くたびに、バスで「外大坂(大学までの坂)」を下りたり、登ったりして近くの駅まで行きました。大学の裏には青い森の山があり、周りは住宅と畑ばかりで、田園の雰囲気がしました。秋になると、黄金色の稲穂、近くには森が見え、遠くには万博公園が見え、どこを見ても自然しか見えませんでした。夜になると寮の屋上から数え切れない星が見えました。私が勝手に想像した、どこでも電車が走っている、高層ビルに満ちている、にぎやかで、緑があまりない日本とかなり違った風景でした。
しかし、そういう予想はずれのところなのに、生活はかなり楽しいものでした。私の留学生としての生活は日本語を勉強することだけではなく、日本の祭りや伝統的な習慣も体験することでした。2ヶ月ごとに見学旅行へ行き、色々な日本の面白いところを観光できました。見学旅行では九谷焼や和菓子を作ってみたり、能や歌舞伎を見に行ったりしました。週末になると、友達と遊びに大阪の梅田や心斎橋に出かけたり、となりの京都や奈良を観光したりしました。近所の図書館で餅つき大会に参加したり、友達の家に遊びに行き家庭料理を食べさせてもらったりすることで、日本のことをもっと詳しく知ることができ、日本の文化を味わうことができました。
そして、帰国すると、留学という経験で自分がすこし変わってきたことがわかりました。ただ日本語能力を高めるのに便利なことというだけではなく、大阪にいる間に知り合った多くの友人や先生、1年にわたる日本での経験は、私の自分の人生の中でも大事な出来事だとわかりました。最初は驚いていた「外大坂」を今は懐かしく思います。クロアチアに帰ってきてから、逆に日本に行ったときよりも大きなカルチャーショックを感じてしまいました。
☆日本語はご本人による執筆です。