3月6日,井出大使はシベニク=クニン県を訪問しました。

 

 

 クニン市は,中世クロアチア国の首都であり,また1991年~95年にはセルビア人が支配する「クライナ・セルビア人共和国」の首都でした。


1. リマツ・クニン市長との意見交換(写真①

 市長からは,クニンが11世紀にドミタル・ズヴォニミル王の統治下で中世クロアチア国家の首都であったこと,そして現在も残るクニンの要塞を観光名所として観光客誘致に努力していく,日本人観光客にも是非来てほしいとの話がありました。

 1990年代前半はクロアチアとセルビア人勢力との間で紛争があり,クロアチア軍による95年8月5日の「嵐作戦」による決着までこの紛争は続きました。リマツ市長からは,本年8月5日に,「嵐作戦」についての展示を行う新しい国立のミュージアムが開館するとの説明がありました。

 クニン市にはかつてはセルビア人が過半数を占めていましたが,現在は人口の約23%であるとの説明が市長からありました。

 井出大使からは世界に多くある戦争を記念するミュージアムを訪問しての感想などを述べ,新しいミュージアムがどのような内容になるのかとの質問をしました。これに対して市長は,あくまでも歴史を正確に説明するものであるとの説明がありました。


2.エルベニク町ブルザ町長との意見交換(写真②

 日本政府はエルベニク村に対して2011年度草の根・人間の安全保障無償資金協力で水供給システム整備を支援しました。

 ブルザ町長からは,水供給システムは順調に稼働している,日本政府と日本国民に礼を伝えてほしいとの話がありました。他方,セルビア人が今でも主体のこの町の開発は厳しい状況にあるとの話もありました。


3. UNHCR,NGO,クロアチア赤十字関係者との意見交換(写真③

 この地方に住んでいた多くのセルビア系住民は,1990年代前半の戦争の際にこの地方から離れることになり(約25万人が離れたと言われています),難民となった人も多くいましたが,その後状況が落ち着いて約13万3422人のセルビア系住民がクロアチアに戻ってきたことが確認されています(2014年11月1日時点)。それでも現在でも約5万人が難民の状態にあり,そのうちの3万2264人がセルビアで登録されています。このような人達がクロアチアに戻ってくる際に彼らをクニンで支援しているUNHCR,NGO「ホチュー・クーチ(Hoću kući;家に戻りたい)」,クロアチア赤十字クニン支部関係者と意見交換をしました。彼らの説明は以下の通りでした。

  ● UNHCRは,セルビア系住民がクロアチアに戻っても家をもっていない人のためにアパートを建設する事業に参加している。最初のプロジェクトとして既に29世帯分のアパート建設が終わった。本年40世帯分のアパートをクニンに建設したい。更に101世帯のアパートを購入する案もある。

  ● NGO「ホチュー・クーチ」は1999年創設。2010年にUNHCRとの協力関係を樹立した。7人がボランティアとして働いている。クニン市,ザダル県,リカ県の3か所にオフィスを持っている。この地域を離れたセルビア人が戻ってくる際に必要な書類の入手や,官公庁への届け出,法律サービスの提供を行っている。これまで約2万1千人が個人文書を取得することを支援した。現在でも2122名の人々が支援を受けるべく登録している。同NGOは最近クロアチア司法省からの資金援助も得ている。日本の企業等から支援をいただけるとありがたい。


UNHCRクロアチア事務所のサイトはこちら http://www.unhcr.hr/


NGO「ホチュー・クーチ」についての説明はこちら

http://drustvo-gradjana.hr/udruge/hocu-kuci/