5月19日,井出大使,竹矢書記官,川畑専門調査員は,アドリア海北東部沖合の島に残る「ゴリ・オトク強制収容所」跡を訪問しました。
この訪問は,ゴリ・オトクの遺構の保存を行っている民間団体「アンテ・ゼムリャル・ザグレブ」が主催したもので,当地外交団(10か国以上の大使館から参加),クロアチア人歴史研究者,元収容者らを招待して実施されました。
ゴリ・オトク島の建造物は適切な管理下で保存されていないことから状態は良くありませんが,強制収容所として使用されていた初期の時代のものから刑務所として再利用された際に建てられた比較的新しいものまで立派に形を残していました。
同地への記念館の設置などはまだ行われていません。
【ゴリ・オトクとは】
クロアチア語で「裸の島」の意味であり,アドリア海沖合に浮かぶ小島(4.7k㎡)である。
ユーゴスラビアがコミンフォルムから追放された1948年以降,同島にソ連邦支持者または東側ブロックのスパイとみなされた人々の(思想の)「再教育」を行う強制収容施設(計4ヵ所)が建設され,翌1949年夏(7月9日に最初の収容者が到着)に運用が開始された。1956年までは政治犯のための強制収容施設として使用され,16,000人以上を収容したとされる。
1956年に政治犯が釈放された後,同施設は少年犯罪者,成人犯罪者および比較的軽い政治犯の刑務所となった。右刑務所は,1988年に閉鎖された。