10月10日,井出大使,茂野書記官,川畑専門調査員は「日本難民センター」を視察しました。
日本政府がクロアチアの戦後復興に向けて行ってきた支援の中で一番大きな支援がペトリニャ市(ザグレブの南東約50キロ)近郊にある「日本難民センター」です(写真①)。
1990年代の民族紛争当時,日本政府が旧ユーゴスラビア紛争の被害者を支援する政策の一つとして,クロアチアに流入した近隣諸国からの難民(クロアチア人がボスニア・ヘルツフェゴヴィナ,セルビア,コソボなどに住めなくなってクロアチアにやってきた)や国内避難民のために難民収容施設を建設することを決定し,国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に700万米ドルを拠出して,80棟・160世帯分のプレハブ住宅等を建設・設置したプロジェクトです。1995年10月に完成したプレハブ住宅を,これまで1万人にものぼる多くの難民が利用してきました。
クロアチア政府側からこのセンターの管理の責任を負っているミレラ・スタニッチ=ポポビッチ・クロアチア再建・住宅支援局局長および同局局員達が視察に同行し,以下のような説明をしてくれました。
日本政府および日本国民からの支援に厚く感謝している。当時,日本の関係者がやって来て,一緒に建設活動に携わったことを今でも覚えている。(当時日本の関係者が来訪した時の写真がオフィスに飾ってありました。)
「日本難民センター」には,今でもコソボなどから避難してきた人たち286名が住んでいる。
「日本難民センター」については,プレハブ住宅ではあるがまだ利用できるので,近い将来に「難民」というステータスではなく,通常の生活上の支援を受ける老齢者達が利用する施設に転換する方針である。
民族紛争が終わってから20年近く経つが,当時の難民が老齢化し,また経済の低迷が続く中で,社会的な支援が必要な状況があり,クロアチア政府が取り組んでいる。これらの人たちが住めるより恒久的な住居をクロアチア政府として建設して安く賃貸するなどの施策を進めている。
(そのような施設(「日本難民センター」の近くにあります)も視察しました。)
1990年代の戦争で住宅が破壊されたクロアチア人からクロアチア政府に対して,住宅再建のための支援を求める申請が出されており,今でも7500件も未解決のまま残されている。これらの人々への支援も進めている。
「日本難民センター」から,より恒久的な施設に引っ越しする一人の女性と意見交換しました(写真②)。彼女はこのセンターで皆からの支援を受けていることを厚く感謝していました。
井出大使からスタニッチ=ポポビッチ・クロアチア再建・住宅支援局局長に対して,「日本センター」が民族紛争から生じた難民を支援するという歴史的な使命を果たし,その役割を近く終えることを日本政府と日本国民にも伝えたいと述べるとともに,もしプレハブ住宅がまだ利用可能ならば,社会的弱者への支援など公的な目的に資する形で引き続き利用してほしいとの希望を伝えました。これに対してスタニッチ=ポポビッチ局長は,そのように考えている,日本政府と日本国民に改めて感謝の気持ちを伝えてほしいと述べました。
たまたま日本難民センターを視察に訪れていたモンセラ・フィシャシュ・ビエUNHCR中央ヨーロッパ地域事務所長とテレンス・パイク駐クロアチアUNHCR事務所長とも意見交換しました(写真③)