3月11日,東日本大震災5周年に際して,当館は,クロアチアの方々からの支援に感謝し,
また両国の友好親善に多大な貢献をされた故デビデ博士を偲び,
今後の友好親善関係増進を図るレセプションを開催しました。
東日本大震災に際しては,クロアチアの官民の皆様から多大な支援と励ましを頂きました。
当館がザグレブ市内ウェスティン・ホテルで開催したレセプションには,クロアチアの学者,日本留学経験者,外務省関係者,文化関係者らにお集りいただきました。最初に東日本大震災の犠牲者に対する黙祷を出席者一同で行った後,井出大使からクロアチアの方々からの支援に対する心からの御礼を申し上げました。
また井出大使からは,今後も日本とクロアチアとの友好親善関係が発展することを祈念し,心と心の交流を更に発展させていきたいと述べました。そしてそのために多大な貢献をされた故ウラジミル・デビデ博士(同博士の功績は末尾の注を参照)を偲んで,友人・知人の皆さんの代表として、ズヴォンコ・クシッチ・クロアチア科学芸術アカデミー総裁,ドラゴ・シュタンブク元駐日大使(俳人),ヴィシュニャ・マクマスター・クロアチア俳句協会会長,ズラタン・ツァル・クロアチア日本学術協会会長,マルコ・タダィチ博士(数学者)からご挨拶を頂きました。デビデ博士の未亡人である本藤デビデ恭代氏からも,デビデ博士はいつまでも自分と一緒にいるとのお話を頂き,大きな拍手が鳴りやみませんでした。デビデ博士の貢献を記念する博物館の開設などのアイデアも提案され,今後検討していくこととなりました。(レセプション会場では、デビデ博士の著作の展示を行いました。)
日本の官民と長年交流しているクロアチア盲導犬協会のミラ・カタレニッチ会長も参加され,日本との交流・協力を一層発展させたいとの挨拶をされました。
ウェスティン・ホテルからは,この集まりの趣旨にご賛同頂き,レセプション開催にあたり特段のご配慮を頂きました。ダルコ・ラデティチ総支配人からもご挨拶を頂きました。
クロアチア在住で唯一のお琴の演奏家であるサーニャ・フレイス=ヴィダコヴィッチ氏に,「さくら さくら」等の日本の名曲の演奏をして頂きました。
その後,ウェスティン・ホテルのレストランのご配慮により特別に用意して頂いたすき焼き,茶碗蒸し,串揚げなどの和食,日系企業であるカリ・ツナ社からの提供を受けたアドリア海産マグロ,天野公邸料理人が調理した刺身と握り寿司,バーデル社から提供を受けた日本のウィスキーなどを皆さんに提供し堪能して頂きました。
3月12日から20日まで,日本とクロアチアの心と心の交流を発展させるための「日本週間」を開催し,様々な文化行事等を行うこととしています。その中では建築分野などでの日本の震災復興努力の紹介も行うこととしています。
(注)ウラジミル・デビデ博士
1925年5月3日生まれ。ユーゴスラビア時代から大変著名な数学者であり,子供向けから高校・大学の数学の教科書も含め数学の著作多数。
デビデ博士は1961年から63年まで東京大学に留学した。博士は,日本の文部省(当時)の留学制度に申請した際の動機について,数学の勉強以外にも,浮世絵などの日本の芸術に魅せられていたからだと回想している。また1961年,日本留学中に俳句と出会い,大きな感動を受けたとも回想している。博士はその著作の中で,日本人が天災から立ち上がろうとする生命力,活力を,そして日本人の自然への,真理への,美への,公正への愛情を,そして人間への,人間性への愛情を絶賛している。
博士はユーゴスラビアに帰国後,そしてクロアチア独立後も日本を紹介する講演を多数行い,日本についての著作も多数出版された。日本とクロアチアの子供を愛し,特に子供達に数学と俳句を教える活動をされた。1983年に勲三等瑞宝章を授章。
2010年8月22日にご逝去された後も,日本人とクロアチア人にインスピレーションを与え続けている。たとえばクロアチア俳句協会は,デビデ氏の思いを受けて,今でも子供向け俳句普及活動を活発にしている。またシュタンブク元駐日大使は,デビデ博士の名前を冠した国際俳句コンテストを創設した。
(この文章は『国際交流』1975年第5号(春季号)にデビデ博士が寄せた文章「日本の印象~ユーゴスラヴィアにおける日本紹介~」,クロアチア国営テレビ(HRT)放映のデビデ博士のインタビューなどを参照して,当館がまとめたものです。)